itoshikiの日記

自身のための覚え書きしかございません。推しの話はしていません。

深夜徘徊〜夏の陣〜

 

深夜思いつきでひとり気ままに散歩をするのが学生時代から好きで、私はそれを“深夜徘徊”と呼んでいる。そう話をするとありがたいことに多方面から心配の声が飛んでくるが、気に入っているので言い換える気はさらさらない。

人気のない街や公園を好きな音楽と共に、物思いに耽りながら彷徨くのはたいへん気分が良いもので、大抵1時間ほどで帰宅する。

 


仕事を終えて帰宅すると、室内温度が35℃を示しているのが日常のこととなってしばらく経つ。ブルーレットと部屋の芳香剤が、蒸発しているのか急激に減っていて怖いし香りの主張が激しい。日中外へ出れば、紫外線が布を貫通しているのではなかろうかと思うほどの痛みを伴って肌という肌をジリジリと焦がしていくし、蝉が騒がしくなった。

 


普段は自宅周辺を彷徨くに留まる深夜徘徊であるが、先日は友人の助けを借りて海辺に足を伸ばしてみた。同じ時間帯でも街中とは静まり方が違う。

まずスマホのライトを点けなければ全く何も見えないほど暗い。一寸先は闇とはこのこと、久しぶりの感覚である。iPhoneのライトでは心許なく足元の危険物の認識が困難であったため、共に歩いてくれた友人は犬の糞を、私は巨大なショウリョウバッタ(のような虫)を踏みそうになり、騒ぎよろめきながら歩いた。辺りに民家はなく、あるのは山と墓地、そして海。人通りも全くと言ってよいほどないが、時たま釣り人が無言で堤防に佇んでいるので、反射的に口から飛び出そうになる悲鳴を何度か飲み込んだ。

 


街灯がないというのは不便なことばかりではなく、上を見上げると視界いっぱいに星が瞬くのが見える。水平線に近いところまで星を確認できるため、空のほぼ180度全てに星が散りばめられており、視野が広がった感覚と共に、昨年思いつきで花火をしに海へ行き、流れ星を7つ見たことを思い出した。

思えば、その時私の隣にいてくれたのも、今深夜徘徊に付き合ってくれている友人であった。

 


両手で、下手をすると片手で足りるくらいしかいない、私が自発的に友人と呼べる友人。数は少なくとも、そういった友人がいること自体ありがたいことで、縁に恵まれているなとしみじみ思う。

 


じっとりと張り付くTシャツに生温い風、草の匂いと海の匂い。波の音と虫の声、たまに通る車の走り去る音。真っ暗闇の足元、明るい星空。

私を取り巻く全てが贅沢に感じられて涙が出そうになった。横を歩く彼女にとっても、今この時間が良いものでありますように、と少し願った。